武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

なぜドルオタは「キモい」のか?②

ドルオタ、ならびに他のオタクが「キモい」と敬遠されてしまう理由の一つとして、「偏向報道」と「享受しなくても生きていける嗜好品だから」という理由を述べました。それに加え、我々の金銭感覚というものも「キモい」と言われてしまう要因の一つであると思います。そして同時に、そのような認識はまったくナンセンスだと思います。

人はとかく、金銭というものは物品に対して払うものであると考えがちなのではないでしょうか。おいしいお食事を頂くにも、綺麗なお洋服を買うにもお金がかかります。しかしドルオタが主に金銭を投じているのは「推し」という、決して物品として自分の手元には還元されないものなのです。「そんなお金を使っても、何も残らないじゃない」と言われることも多々あります。

しかし、こうしたお金の使い方は、一般人もしていることなのです。我々がお金を払っているのは、推しを見ることのできる「時間」であり、物販での接触を含めた「思い出」です。つまり物品ではなく「体験」に対して支払いを行っているのです。一般人も、お金を払って映画をご覧になるでしょう。映画を見た後に残るのは「楽しかった」という思い出であったり、内容の記憶であったりします。これも「体験」を消費している例の一つでしょう。「旅行」「カラオケ」もそうでしょう。

また、「払っているお金が巨額すぎる」「金銭感覚が崩壊している」とも言われますが、私は自分が過度な浪費家であるとは思っていません。推しから毎回提示されるライブのチケット代やその他諸費用に対して、すべて納得した上で、喜んでお支払いをしております。なぜなら、推しのパフォーマンスには、また推しと共有できる思い出にはそれだけの価値があると分かっているからです。

私だって、推しとの一回の握手が100万円もしましたら、流石にお財布を緩めることはありますまい。逆に、推しがチェキを10円で売っていたら、買いはするでしょうがなんだか寒々しい気持ちになるでしょう。貴方はなぜそんなにご自身を安売りなさるの、貴方のチェキには、4ケタの価値があるのですよ、と思ってしまうでしょう。

素晴らしいものを得るには、当然高額のお金がかかります。性能のよい高級車、一流ホテルのディナー、ブランドもののお洋服など。私にとって、世間一般から「高額」と言われる推しへの投資は、上記のような「非常に価値あるもの」へお金を払うことと、何ら変わりはないのです。

「推しなんて、貴方のことをお財布としか思ってないのよ」「振り向いてももらえない相手にお金をかけて、バカみたい」「裏ではきっと笑われているのよ」といった意見もありました。確かに推しの目には、私は「お金を払ってくれる存在」でありましょう。それは私も納得しております。なぜなら、度々拙ブログでも主張してきました通り、推しはパフォーマンスの与え手であり、私はその消費者にすぎない。消費者である、ということは、どこかのお店でそこの商品を購入するのと変わらない。お店に溢れかえるほどのお客様がいらした時、果たして店員さんは純粋に「ああ、皆さん来てくれてありがとう、大好き」と思えるでしょうか。少なからず、この人数から生まれる利益がもたらすお店の潤いを想像し、胸をときめかせるのではないでしょうか。

所詮金銭で繋がっている相手なのですから、「金銭を持ってくる人」と考えられても、ある意味当然です。振り向いてもらえないのに、と言われましても、私は金銭と引き換えに推しの心を得よう、あるいは恋人としてのポジションを得ようなど、そのようなことはまったく考えておりません。逆に推しが、多額のお金に惑わされ、ふらふらと太い消費者に心を売り渡してしまうようでしたら、私は心底推しを軽蔑すると思います。どうか推しにはこれからも、自分の最高のパフォーマンスが商品であり、我々は彼をある意味で愛してはいるけれど、消費者という一線を引いた存在なのだ、とう自覚を持ち続けていただきたい。

「裏ではきっと笑われている」…悲しいことに、そのようなアイドルさんもいらっしゃることでしょう。しかし、そのようなアイドルさんは決して長続きしないと考えます。私もお金を稼いではいますが、正直そのお仕事に生涯をかけるほどのやりがいを感じてるわけではありません。なぜニートではないの、お仕事をしているの、と問われたら、お金が必要だからです、と答えるでしょう。それ以上でもそれ以下でもありません。彼らも、ある程度「収入」というものを目的にしてアイドル活動をしているのでしょう。しかし、そのような割り切りだけで長続きするお仕事であるとも思えないのです。心底ファンを嫌い、軽蔑していたら、そしてそのようなことをバックヤードで高らかに言ってしまうほど幼稚な人間であれば、そうした態度は知らず知らずのうちに接触の際の態度、ファンサービスの悪さに現れ、徐々にファンは減っていくものと思われます。

このように考えると、オタクとは決して極端ではなく、ごく一般的な方法で経済を回しているものと思われるのです。だからこそ今回も、「だからドルオタは決してキモい存在ではない」と主張したいのです。