ドルオタ、社会人になってみた雑感
気が付けば最後の更新から二ヶ月が過ぎました。もうこのブログ化石になっているのではないか?と思って久しぶりにアクセスをしてみましたが、相変わらず拙記事をお読みくださる方がいらっしゃることが判明し嬉しい限りです。
さて、この二ヶ月間何をしていたのかと申しますと、新社会人として企業の末端部分を這い回りながらも、順調に社畜として人格を形成し直されておりますああ無情。学生時代とは環境は大きく、というより180度異なりまして、その分推し事に対するスタンスも変わらざるをえなかったように思います。
【金銭面】
父親の扶養に入っており100万円程度の収入しか得られなかった学生時代と比べ、収入ははるかに増えます。だからと言って、「その分これまでの数倍、推しにお金をかけられるぞ!」と歓喜するかと思いきやそうでもなく、推し事にかけるお金は学生時代とあまり変わっていません。
学生時代はアルバイトに精を出す人、ほどほどの人、あるいはまったくしない人と様々でしたが、大学(院)を卒業して社会人になりますと、「新社会人平均給与」という基準を否応なしに意識することになります。理系の院卒→研究職でもなければ、プライベートを全て犠牲にするほどの激務の営業・コンサルでもありませんので、私がいただけている報酬は決して「破格の高給」というわけではありません。となりますと、「私ももう大人として、浪費を避けて考えてお金を使わなければ」という自律の精神が確立しました。
とはいえボーナスが入ったら、リミッターが外れるかもしれない…
【時間の都合】
これは確実につかなくなりました。特に私は現在、夜勤を含むシフト制で働いていますので、一ヶ月以上先のライブの予定が出ても、はたしてその日は休みなのか、あるいは仕事なのかがまったく読めないのす。また、休みだったとしても、翌日は会社手配のタクシーで出社する早番だから、逆算して推しの出演時間にはベッドに入っていなければならない…という悲しい状況になることも多いです。運よく休みが被れば、平日昼間のライブにも行きやすいというメリットはありますが。
私は遠くないうちにオフィス勤務に転換をする道を辿りますので、「月~金のお昼勤務」という社会人生活も経験することになります。シフト制も固定制も、それぞれ推し事をする上でメリット・デメリットがあるでしょう。メリットに感謝しつつ生きたいものです。
尚、このブログの読者の方の中に現在の私と同じような夜勤を含むシフト制勤務者の方がいらっしゃいましたら、「夜勤と夜勤の間のお昼に無理してライブに行くと、死ぬ」という事実を今日は学んで帰ってください(真顔)
【ファッション面】
最大限に可愛らしい恰好をしなくては推しの前に出たくない!と息巻いていたのは過去の話、今ではすっかりスーツやオフィスカジュアルで推しの前に行けるようになりました。たしかに「可愛らしい」という表現からは程遠い恰好ではありますが、それなりの凛々しさは伴う恰好であるのか、意外と推しからお褒めいただくこともあります。
【体力面】
疲れる(即答)いや本当に、社会人は疲れる。疲労困憊で体も脳も動かない日もある。
このような状況ですと、つい「今日も仕事が疲れた」という旨のリプを送りたくもなりますし、面と向かって仕事の愚痴の一つや二つ、言いたくなってしまうこともあります。しかしそれは、ぐっと我慢しなければならないものだと思います。私が疲れているかどうかなんて、推しにはまったく関係のないことです。むしろ推しが存在しているだけで、その存在は確実に私を癒し、疲労を軽減させてくれている。その点を常に意識し、学生時代より感謝をもって彼に接したいと思います。
【その他精神面など】
正直に申し上げて、会社員は気楽なものです。どれだけミスをしようが、会社に直接の利益もたらさなかろうが、毎月決まったお金が入ってくるのです。そして正社員ですから、刑事事件でも起こさない限り、定年退職の日までそのポジションは保証されます。「正社員で人生安泰」と言われる意味は身に染みてよく分かります。
しかし私はどうもそれだけでは満足できないようで、「このままこの環境で安寧に生きるのではなく、より高みを目指してチャレンジしたい」「まだ若いのだから、何かに全力投球したと言えることをしたい」という気持ちが湧き上がってきました。そして、親の勧めもあって、現在の会社に勤めながらもキャリアアップのための資格を取得することにしました。
と、ここまでならいいのですが、相変わらず私は推しの顔を見ると背水の陣を敷きたくなってしまうタイプらしく、取得に十年かかっても不思議ではない資格の取得を宣言してきてしまいました。我ながら何なのかこいつは。落ち続けて挫折するかもとか、考えないのでしょうか。
難関資格を目指す者しかできない推し事の満喫方法もあります。一つ目は、十巻以上ある基本書を一回に一冊現場に持って行って、それを持って推しとチェキを撮ること。チェキはその後、その本の栞とします。もちろん本番では、全て会場に持って行きます。
そして二つ目は、「推しに合格を報告する」こと。そして有資格者の証である徽章をつけて、チェキ撮影をすること。完全なる自己満足です。むしろ、暗に推しに「凄いね、おめでとう」と言うことを強制しているとすらとれる行為です。しかし、推しの存在は、確実に私のモチベーションを上げ、地獄のような勉強に向かう背中を強く押してくれているのです。
だからこそ私は、どうかこの地獄の勉強の最中に、彼が突然の卒業報告をしませんように、それだけを心から祈っています。