武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

平等なんてあり得ない

アイドルはファンを基本的には平等に扱わなければならない、と思います。例えば、常連にはお友達のように接して、あまりライブに来てくれない(つまり金銭的な貢献をあまりしてくれない)ファンには塩対応をする、ということは決してあってはならないと思いますし、そのようなことをするアイドルからはすぐにファンも離れていくのではないでしょうか。

私は決して推しの「上客」ではありません。そんな私に対しても、他の方と変わらず平等に接してくださいますので、そのお人柄を含めて私は推しが大好きなのだと思います。しかし、どんな場合でも「完全な平等」なんてあり得ないでしょう。

差し入れの写真がブログに上げられた。どなたからのものが真ん中にあり、どなたからのものが端にあるのか。また、写真の枚数は何枚か。パッケージだけなのか、個包装の状態まで撮られているのか。更に、それを持って推しが自撮りしてくださるのか。

差し入れは受け取るタイミングもばらばらでしょうし、内容量・賞味期限によっては完食するスピードも異なります。全てを平等に扱うことなんてどだい無理でしょうし、一々「自分の差し入れの扱いは悪くないか」と悩むことなど、時間の無駄だと思います。例えば私は、あるライブで差し入れを渡すのが遅くなってしまい、その前に推しが「今日貰った差し入れ」の写真をツイッターに上げられたことがありました。夜中に再度上げられた写真には私のものも入っていましたが、それで「なんで他の方の差し入れは2回載っているのに、私のだけ1回なのよ」などと思うのは馬鹿らしいです。

また、物販でどれくらいお話してくださるのか。自由に行き来できる会場の場合は、推しがどなたから話しかけてくださるのか。ファンサが何回あるのか。どうしたって不平等になってしまう機会とは、案外多いものです。ここで生まれる僅かな差異については、ファンは決して大袈裟に騒いではならないと思います。

まず、「どうして私を後回しにするの」と推しに文句をつけると、推しは更なる完璧な平等性を追求しようとして、それが余計なストレスとなってしまうかもしれない。一人だけあからさまに無視されているとか、推しの人格に関わってくるような問題でない限りは、ファンはそんな我儘を言うべきではないと思います。親戚に「(姉)ちゃん、(私)ちゃん」と呼びかけられることを悔しがり、「なぜ私はお姉ちゃまの後なのよ」と文句を言っていた、幼少期の自分の姿と何ら変わらないと思います。そもそも推しは友達でも恋人でもないのですから、「我儘な気持ちをぶつける」というのはお門違いでしょう。

逆に、「こんなことをしていただけた」ということも、あまり触れ回るべきではないと思います。それをしていただけていないファンの目に留まった場合、やはりそこには嫉妬が生まれてしまうものです。その嫉妬心を原動力に更に熱心なファン活動をする、という側面も考えられますが、やはりファン同士の争い、潰し合い、最悪の場合どちらかが現場に来なくなってしまう=推しがファン失う、という可能性も考えられます。いつかの記事でも申しましたが、推し事とは競争社会である現実世界から離れた夢の世界であり、その現実世界で頑張ろうという気持ちを充電するために行うものだと思っています。推し事を巡って競争社会ができてしまったら本末転倒でしょう。

また、仕方のないことを「推しは不公平だ、私は気に入られている、いや私には塩対応だ」などと騒ぎ立てると、どうしたって推しの評判は下がってしまいます。もしかしたら推しに興味を持ち始めた方が、「なんだかドロドロした世界だな」と感じてしまい、ファンになることをやめてしまうかもしれません。特に地下アイドルの世界はまだ人間関係が狭く、噂はあっという間に広まります。我々ファンは、不要な負の感情を持つことをやめ、素敵な世界だと思ってもらえるような空間を作らなければならないと思います。

平等にしようとしても、完全な平等はあり得ない。ならば我々は、細かい違いを一々気にかけることはなく、おおらかな気持ちで推し事を楽しむべきだと思います。