武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

ドルオタと新型コロナウイルス

お久しぶりです。気づけば前回の更新から早一年近く。決して推し事から上がったわけではなく、彼を推し続ける時間も、自分のキャリアを高める時間も、すべてがあまりにも充実しており、そのためなかなかブログ執筆に時間をかけられなかったという感じです。

そしてまたブログでも書こうかという余裕が生まれた。もちろん、新型コロナウイルスにより推し事自体がほぼ不可能となり、虚しい時間が増えてしまったということです。

私の推しは地下アイドル御用達の地下のキャパがあまり大きくないライブハウスでの活動を主にしておりますので、当然このコロナ禍では活動自体は全滅です。それでも様々な工夫をしてくださってオンラインイベントや無料配信等工夫はしてくださるのですが、あの一時の夢の中にいるような「ライブそのものの空気」を再現はできない。これは私の推しが力不足だからということではなく、そもそもオンラインとライブはまったく異なるものですので、まったく同じ喜びを得続けようというほうが不可能でしょう。

もちろん、この先の見えない状況で、どんなイベントでも必死で工夫し、可能な限りパフォーマンスを届けようとしてくださっている。私たちも不満は多くあれど、それを直接口に出すこともなく、楽しもう、感謝しよう、と必死になっている。

これが新しい生活様式なのでしょうか。なんとも最近、どんなに制約があるライブでも、アイドルとファンの双方が必死になって「コロナ以前と同じくらい楽しい、楽しい」という雰囲気を作り上げている。作り上げなければならない、一人でも「こんなビニール越しじゃ、実際に会えないんじゃつまらないね、やっぱり違うよね」と言ってしまったら、そこで全てが終わってしまうような気がする…少しの刺激で割れてしまいそうな大きなシャボン玉を、アイドルもファンもおそるおそる掌で包んで、できる限りそうっと扱っている、そんな感じがします。

私はというと、オンラインで楽しむことはしますが、たとえビニールシート越しであっても推しに会いに行くことはありません。早くも半年、彼に直接会っていません。寂しいとか、悔しいとか、そんな気持ちではありません。まるで、私は生まれたときからこのパンデミックの中にいて、彼と直接触れ合えていた僅かな時間は幻だったのではないか…とすら思えます。

しかし、鏡を見るとそこにはお洒落をちゃんと学んだ女性がいて、彼に会えない時間を暇と感じることもなく、「推しも頑張っているから」と勉強に勤しむ私がいて、机を開けるとファンレター専用にと集めた封筒や便箋があって…

ここにいるのは、確実に「推しによって作られた私」なのです。自分がここにいる、それは確かに、推しが私の人生に直接関わっていた証であり、楽しかった日々は確実に存在していたのだ、と思うことができます。

直接会いにいかないのは、単純にコロナが怖いからです。若いと重症化しないとか、マスクをしていれば大丈夫とか言われますが、実際感染させてしまうのか、それがどれほどの苦しみを生み出すのか、それはかからないことには分かりません。推しに、これだけ感謝しなければならない推しに地獄をもたらしてしまうかもしれない。そんな恐怖をおぼえながら推しに会いにいっても、楽しくないでしょう。

幸い、オンラインでお金を払える機会はたくさんいただいています。差し入れも郵送すれば受け取っていただけます。今日も私は、たしかに推しのいる世界を生きています。

私は日本国民全員にワクチンが行き渡るまで、絶対に推しに感染させないと確信できるまで、実際に推しに会いにいきません。もちろん、賛否両論あるでしょうし、ひょっとしたら推しは、完全対策をした上で会いに来てほしい、会いに来てくれる人こそ真のファンだ、という考えを持っているのかもしれません。

それでも、これが私のドルオタとしての結論ですし、彼に直接会いたいという気持ちを押し殺すことが、私の新型コロナウイルスとの闘い方なのだと思います。