武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

ご縁を大切にしたい

前回の記事でも述べましたように、私は推しとのご縁を大切にしたいと思っていますから、積極的に二推しを作ろうと思いませんし、例え別のアイドルに心を奪われる日が来ようとも、推しの元を離れないと思います。

人間、現実世界でも人とのご縁は大切にするべし、と言われています。どなたといつお別れになってしまうか分からない、とも言われます。とはいえ、普通に生きていて、「笑ってまたね、と挨拶したが、あれが今生の別れだったのだ」なんてことはほとんどありません。祖父や高齢の親戚など、人との今生の別れを経験したこともありますが、「おそらく、これが最後なのだろうな」という予感は毎回ありました。

このように現実世界ですと、ほとんどの場合寿命を迎えることで今生の別れを迎えますし、それはある程度予測ができる。それに比べるとファン-アーティストの関係は、実に儚いものだと思います。

我々ファンは、容易に「推し変」をしたり、気持ちが冷めてしまったりします。実際私も、元推しへの気持ちが冷めるのは一瞬でした。彼としても、出待ちで満面の笑みを浮かべながら「また観に来ますね、頑張ってください!」と言ったファンが、(おそらく)もう二度と来ないなんて、思わなかったに違いありません。もう二度と会いたくない、という気持ちにまでなってしまっても、恋人ではないのですから、別れ話をしなければならない、なんてこともない。私は彼に「炎上事件を聞いて冷めました、さようなら」なんて伝える義理はないのです。

アーティスト側からすれば、どんなに笑顔でアピールしてくるファンでも、何年も通い続けてきてくれるファンでも、もしかしたら今日が最後、もう二度と会えなくなってしまうかもしれないものなのです。亡くなってしまう方のように予測ができるものでもありませんし、恋人のようにきっぱり別れを告げてくれるものでもありません。そして、我々ファンは「一生あなただけをファンとしてお慕いします!」なんて誓約をするはずもありませんから、推し変してしれっと他の方を追いかけていても、それはまったく悪くない。そう考えると、ファンとアーティストの関係なんて実にドライであり、いつ壊れてしまうか分からないものだと思います。

家族でしたら、縁を切るなんて余程のことです。お友達や先生、同僚とは、例え年賀状だけとか、Facebookで繋がっているだけとか、そんな薄い縁だけでもなんとか繋がりますし、縁を完全に切ろうとするのもなかなか大変なものです。しかしファンとアーティストは、こちらから行動を起こし続けない限り、露のように消えてしまうご縁です。

そんな儚いものだからこそ、私は一度推しと繋がったご縁を大切にしたいと思っています。家族のように、何もしなくてもずっと厚いままでいるご縁ではないものだからこそ、一回一回の現場を大切に、そして定期的に足を運んでいきたいと思います。