武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

どこからが見返りか

アイドルにとって、どこまでが彼らがするべきサービスであり、どこからが求めてはいけない見返りになるのか、その線引きは非常に難しいものだと思います。もちろんそれは、個人によって異なります。テレビで姿を見かけない日はないほど有名な方でしたら、サインは非常に価値のある、大変貴重なものです。一方で、出待ちなどで、無料でサインを書かれる方もいらっしゃいます。

「私たちはここまでしますよ」ということを全て明言している方はいらっしゃらないでしょう。「連絡先の交換をしたら出禁です」とか、「一緒に写真を撮りたい場合は1000円でチェキ券を購入してください」という注意書きがある場合はありますが、それでもファンが求める全ての欲求について、「あれは駄目」「これはいい」などと書ききることはできません。

アイドルにとっての「ここまでならしてあげられる」あるいは「これくらいは是非したい」という思いと、ファンの「こういうことをしてもらいたい」という思いがぴったり合致すれば、素晴らしい現場になると思います。しかし、アイドルと以心伝心になることなどできませんし、常に何らかの形ですれ違いが生じてしまうものだと思います。

アイドルにとって非常に迷惑になるのが、ファンの思いが強すぎる場合でしょう。例えば、「ツイッターでのリプライは一切しない」というアイドルに対して、「誰それちゃんはしてくれるじゃないか、お前もやれ」と要求する人間は一定数います。それ以外にも、「なぜあのファンとは物販で楽しそうに話しているのに、自分とはそうではないのか。もっと長い時間話してほしい」とか、「プレゼントをあげたのに、なぜそれを着用した姿をツイッターに載せてくれないのか」といった歪んだ思いを抱くファンもいます。このような歪んだ思いを持たないためにも、「このアイドルには、どこまでを見返りとして求めていいのか」ということを、ファンは自覚する必要があると思います。

一方で、逆のケースもあると思います。アイドルがファンサービスを熱心に行ってくれるけれど、ファンがそれを申し訳なく思ってしまう場合…こちらは事件に発展する可能性もないため、一般に知られているケースではないでしょう。しかし先日推しのライブに伺って、私はこのケースの当事者になったのだと実感しました。そして、「自分は、推しに何を求めているのか」を深く考えるきっかけになったと思います。

ライブでは、推しの歌を聴いてダンスを見て、本当に楽しく過ごせました。「ファンサ」を頂けたのかは分かりません。確かに推しは私の方を見た気もしましたが、お隣にも同担の方がいらっしゃいましたので、彼女に向けられた視線だったかもしれない。もっとも私は、推しのファンサを貰うために推し色のキンブレを振っているわけではないので、それはどうでもいいことです。

ライブ終了後の物販までに、推しのユニットのお仲間が何人かロビーにいらっしゃって、ファンの方とお話をされている姿を目撃しました。私は彼らとお話をしたことはほとんどありませんでしたし、私のことなど認識もされていないでしょうから、お声をかけていただくことはありませんでした。これは当然です。彼らにとって、こういったフリートークができるお時間がある場合、まず優先すべきはご自身のファン。ご自身の推し色をつけている方ですとか、チェキを買ってくださる方ですとか。私は推しの動員としてライブに来て、推しのグッズしか買わないのですから、彼らの「お客様」であるという実感もあまりありません。とはいえ、別に孤独を感じることもなく、時にはフロアに入ったり、疲れたらロビーに出てモニターを見たり、ドリンクを飲んだりしているうちにライブは終了しました。

物販では、推しのグッズをいくつか買い、お会計をしてくださった推しのお仲間に、全員分購入してきたプレゼントを渡しました。まだファンは並んでいましたので、コンビニでお会計をするような素早さで早々に物販から立ち去りました。推しは他の方とチェキを撮ってらっしゃり、何だか長くかかりそうな雰囲気でしたので、ご挨拶はせずにそのまま帰宅しました。本当に楽しかった。推しは舞台上で相変わらず恰好よく、物販でちらりと拝見した限りでは、とてもお元気そうで、ファンの方に囲まれてお幸せそうでした。そんな姿が見られて、私も幸せでした。

その夜、推しはファンや主催者への感謝を綴ったブログを上げました。彼にとってもこのライブは素敵な経験だったようで、それが何よりでした。しかし推しは、自分のユニット目当てでライブに行ったファン全員と挨拶ができなかったことをたいへん悔やんでいるようで、挨拶ができなかったファンへの謝罪まで書いてありました。

もちろん、推しと一言でも話せたらとても素敵なことだったでしょう。しかし私は、別にそれを望んでいたわけではない、もちろん推しに謝ってほしくなんかない、と気づきました。ロビーで会えなかったのは、たまたますれ違ってしまっただけでしょうし、物販でもお忙しそうだったのですから仕方ありません。

では私にとって、あの日のライブで「推しにしてほしかったこと」は何だったのか?…それは「推しの全力のパフォーマンスを見ること」であり、「物販で推し乃至推しのお仲間にあたたかく接客していただくこと」、そして「差し入れを受け取っていただくこと」この3点だけでした。

「ファンサを頂くこと」「推しと一対一でお話をする機会に恵まれること」「推しが私の差し入れをツイッターに載せてくれること(実際に載せてくださいました)」、これは、推しとしては是非したいことなのかもしれない。でも私は、これらはチケット代として支払った金額に入っていない、あくまでおまけだと思っています。推しがこれらをしないからといって、「お金を払っているのに!」とは決して思いません。そしてこれらの一つでも欠けてしまったことに対して、推しに謝ってほしくなんかないです。

なぜ推しはこんなにも低姿勢で謝ってくるのか。おそらく、こうした行為を「当然」と考えるファンがいるからだと思います。以前、推しとお仲間がイベント後にファンと交流できる時間をもうけてくださったことがありました。その際、目当てのメンバーが自分たちのところに真っ先に来てくれなかったからといって、「誰それ君がスルーした!」と大騒ぎしていたファン(と呼べるのでしょうか)がいたことを思い出しました。おそらく推し自身も、自分が思う通りのサービスをしてくれないからと不満を口にするファン(と呼べないと思いますが)に困らされたことがあるからこそ、先手を打って謝罪しているのだろうと思います。

ファンとの距離が近い地下アイドルは、望めば何でもしてくれるような錯覚を与えてしまうかもしれません。だからこそ、推しが次から次へと与えてくれる夢のような時間を、当然のことだと思わないことが大切だと思います。ライブならパフォーマンス、握手会なら握手、物販なら接客。これが推しの仕事であり、それ以外のことはあちらが善意でしてくださるサービスなのだ、頂けたらラッキーだし、頂けなくても推しを恨むのはお門違いだ、と心に留めておくことが、ファンの義務だと思います。


私は推しやユニットの名前を絶対にこのブログには載せません。だからこそ、推しがこのブログを見つける可能性はほとんどありませんし、例え見つけたとしても、何度も繰り返される「推し」という言葉が自分のことを指しているとは思いますまい…ここで私が綴る思いは絶対に推しへは届かないけれど。

「あなたの全力のパフォーマンスと、お元気そうな姿を見られるだけで、私は本当に満足なんです」

これがファンとしての私の気持ちなのだと思います。