武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

見返りを求めることについて

ライブへ行き、イベントへ行き、差し入れやファッションを吟味していると、時折友人から「そこまでするなら、少しくらいは見返りを求めてしまうんでしょう?」と聞かれます。もっと具体的に言うならば、「推し君のお気に入りになりたい、という気持ちがあるんでしょう?」

 

お気に入りになりたい、という気持ちは、ほとんどのファンが持つものだと思います。でも私には、不思議とそういう気持ちはありません。むしろ、「嫌われなければ万々歳」という気持ちに近いです。

嫌われたら嫌だから…というより、「この子、嫌いだ」と思われるファンになるということは、推しを不快にさせてしまうからです。さあこれからライブだぞと意気込んでいる時に、「うわ、あの大っ嫌いなファン、またいるよ」と思ってしまっては、士気が下がるでしょう。また、推しはどんなに私を嫌っても、私を拒否できない身なのです。そんな大嫌いな人間とも、物販では話さなくてはならない、写真を撮らなければならない、というストレスを与えてしまうファンにはなりたくない、と思います。

嫌われたら、ファンサが少なくなったり、冷たくされたりして、傷つくから嫌なんじゃないか?というご意見があるのもごもっともだと思います。でも現状、推しはどなたにも平等に接してらっしゃると思います。よりファン歴の長い方、つまりかなり親しくなっている方にはよりフランクな態度で接するのは当然と思いますが、「あのファンのこと、嫌っているんだろうな。あの人にだけ塩対応だ」という態度は見たことがありません。もしファンへの態度がころころ変わる方を推していたら、私もこの点に関しての認識は変わっていたかと思いますが、とりあえず「私の推しはそんな幼稚な精神で、ファンを傷つけてくることはない」と思えているから安心です。

推しは私の顔を見て、全身に蕁麻疹が出てくることもなければ、悲鳴を上げて卒倒することもありません。蛇蝮のように嫌われていなければ、もうそれだけで十分です。

自ら友情を育むお友達でしたら、ある程度同じ環境で育ち、大体同じ価値観を持っていますから、生理的に無理、体が勝手に拒否してしまう、ということはほとんどないと思います。しかし、推しはまったくの他人なのです。一般人として生きていたら、決して巡り会わなかったような方に、本能的に拒絶されていない。これだけでもう、凄いことなんじゃないか、とすら思えます。

 

逆に、「お気に入りになりたい」という思いはないどころか、「私なんかを気に入る推しは嫌」と思います。

以前推しがライブで、私が好きなアニメのテーマ曲をカバーしたことがありました。知人が「あれはあなたへのラブソングだ!」などと勘違い甚だしいメールを送ってきたのですが、それを聞いたときに最初に私が思ったことは、「公の場でそんなことをする推しは嫌だ」でした。もし私を贔屓したら、他のファンの方が嫉妬したり、悲しんだりします。また、私はトップオタなどとは程遠い、細々と応援させていただいている身。一番お金を落とす客を贔屓にする、というスタンスは分からなくもありませんが、もし推しが私を贔屓にしてくれたとしたら、それは顔がタイプとか(変態かな…)、そういった私的な理由に他ならない。舞台上で、推しはみんなの推しなのですから、そういった私情は挟まないでいただきたいし、もしそういったことが判明したとしたら、プロとしての自覚が持てない方なのだと、私は推しを軽蔑すると思います。

推しも人間ですから、ファンの中でも、どの方がタイプだとか、またどの方は生理的に受け付けないとか、そういった分類はあると思います。しかし、そういった気持ちを押し隠すことがプロなのでしょうし、私はどなたにも平等に接してらっしゃる推しに、非常に魅力を感じています。

 

強いて言うならば、私はいつも推しの笑顔を見ていたいです。舞台上で笑顔なのはもちろんですが、ブログやツイッターに載る日常生活を、実に楽しそうに過ごされていることが、何より私を安堵させている気がします。また、推しはユニット内のお仲間ととても仲がよろしいようで、彼らとお仕事をされている時の、本当に幸せそうなお姿が、いつも目に入ります。ライバル心はある程度はおありでしょうけれど、決してギスギスした関係ではない、という事実が嬉しいです。

 

推しがいつも健康で幸せなこと、それが私の求める見返りなのだと思います。