武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

推し色を身につける

私はライブへ行くとき必ず、推し色のネイルをし、推し色のリボンを髪に編み込みます。そして推し色のキンブレを持っていますと、誰がどう見ても「推しのファン」であることが分かります。

私はライブに必ず一人で参戦します。つまり、私の本名を知る人は、ライブ会場には一人もいません。唯一私に関して周囲の方が分かる情報といえば、「この人は(推し)のファンなんだな」ということだけ。実際に、見た目からそう判断され、同担のお仲間にお声をかけていただいたこともあります。

例え私がライブ会場でごみを散らかしたり、MC中に騒いだりしても、誰ひとり「(私の苗字)さんとこのご夫婦は、いったいお嬢さんにどんな躾をしているんだ」とか、「(在籍校)の生徒は品がない、大した学校ではないのだ」と思うことはありません。その代わり確実に、「あの下品な女性の推しはあの人か」と思われてしまう。もちろん、推しは両親や学校と違って、私を教育する義務などないのですから、私の素行の悪さが推しの評価を下げるというのは、実際おかしな理屈です。しかし、「悪いファンがついていると、アーティストの印象も悪くなる」というのは、アイドル業界ではなく、演劇業界やテレビドラマ業界、スポーツ界などでも言えることです。

登下校中に悪ふざけをすると、「校章の入ったランドセルを背負っていること、あるいは制服を着ているということは、学校の看板を背負っているということと同じです」と、何度もご注意頂いたものです。となれば、推し色を何らかの形で纏っているということは、私は推しのファンなのですという看板を背負っていることと同じなのだと思っております。

下手なネイルを練習しているとよく友人に、「なぜそんな思いをして推し色を纏いたいの?やっぱり推しへのアピール?」と聞かれます。確かに、アピールの意味もあります。彼からしても、自分の色のキンブレが振られていたら、悪い気はしないでしょうから。しかしそれ以上に私は、自分を律するために推し色を纏っているのだと思います。ただでさえ興奮して、理性が飛びそうになるライブ会場。一秒でも長く物販でお話したい、前の方を押しのけてでもステージ近くに行きたい、疲れたから座り込みたい、様々な欲望も生まれてくる場所です。そのような場所だからこそ、自分を律する必要があり、推し色を纏うということはそのための有効な手段なのだと思っています。