武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

細く長く推す

さて、実に偉そうな記事ばかり書いている私ですが、実際はかなりライトなドルオタです。気持ちが弱いという意味ではなく、そう頻繁に現場に行けない、という意味です。

まず私は、絶対に学業を優先します。現場と試験期間、論文提出期間が被った場合、現場に行こうなどとは露ほども思いません。授業を切る(さぼる)ことも、推し事を理由には決してしません。

その他にも、推し事をする上でも犠牲にできないことはあります。アルバイトをしっかりすること。推しに納めるお金は、必ず自分のアルバイト代から捻出します。もう大人ですのでほとんど頂くことはありませんが、何の努力もせずに得たお小遣いを推し事に使うことは、自分のポリシーに反すると思うのです。

また、お友達とのお付き合いも大切にします。「推しのために、あなたと遊ぶお金を使う」なんてポリシーで次々にお誘いを断っていたら、いつかお友達がいなくなってしまうと思うのです。

もし、こうしたものを全て犠牲にして、全身全霊で推していたら。そう仮定すると、いつか推しがご卒業される日を想像すると怖くなります。推しという人生の中心にあったものが消えてしまったとき、そこに残るのは何でしょうか?学問を満足に修めず、貯金もなく、お友達もいない人間が残ってしまう。そう考えると、永遠に自分の支えになってくれるとは言い難い「推し」という存在を、人生の全てにしてしまうのはハイリスクな生き方だと思います。

他にも、「全力を出しすぎない」というポリシーはたくさんあります。推しのためにお化粧や髪型を工夫して、精いっぱい綺麗な姿で現場に行きたいけれど、絶対に整形手術はしない。アルバイトは、いかがわしいもの、危険を伴うものは決してせず、自分のためにもなること、自分も学べることをする。痩身を保ってはいたいけれど、不健康なレベルにまでは体重を落とさない。

こんな自分が、推しにとって重要なファンであるとも思えませんし、そう考えるのは思い上がりだと思います。しかし、人生において大きな目標があり、未だそれへの過程にある自分にとっては、このような「細く長い」推し方が合っていると思うのです。

ライトなファンであることは、メリットもあります。実生活が疎かにならない、という面もありますし、「自分はこんなに推しのために尽くしているのに」とか、「推しが、自分より大したことのないドルオタにファンサをした」なんて病むこともありません。むしろ私は、推しが自分なんかにファンサをくださることが、それだけで本当に嬉しいです。推しのお仲間にも少しずつ顔を覚えていただけることも、私にとっては天にも昇る心地になることですし、本当にもったいないことです。

これからも細く長く、自分に合ったペースで推しの活動を楽しみたいと思います。

 


年末から少しずつアクセスが増えてきました。どなたか存じませんが、拙い記事をお読みくださり本当にありがとうございます。貴方様の推しも、今年ますます羽ばたかれますように。