武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

私も成長させていただく

ドルオタの醍醐味とは、アイドルの成長を見守る点にあると思います。

多くのアイドルは、その技能の全てにおいて完璧ではありません。むしろ、「歌もダンスも下手な女の子が頑張っている」というストーリーを押し出していることがほとんどです。むしろ多少素人らしさが残っている方が、ドルオタは彼ないし彼女がトップアイドルになる日を夢見て応援してしまうものです。

私は劇団四季も好きなのですが、さすがにあの舞台に立てる方は、スタートラインの時点で素晴らしい才能に恵まれています。初舞台の方であろうと、「頑張れ!」と思わず心の中で叫んでしまうようなおぼこさはありません。その後も成長し続けることは確かですが、その過程を楽しむというタイプのエンタメではありません。

一方でアイドルは、「育てる」という言葉もあるように、ドルオタはどこか親のような気持ちを持つ部分があるかと思います。また、最初はキャパの小さなライブハウスで、ほんの僅かなドルオタを前に歌っていたアイドルが、だんだん大きな舞台に立てるようになり、見る人も増え、やがてメジャーデビューする。こうしたステップが明確に目に見えることも、成長を見守ることの面白さであると思います。AKB48の方でしたら更に、どんどん順位が上がるという、実際に数字として見える成長の証もあるでしょう。全てファンのおかげと自惚れてはいけないと思いますが、やはりファンが着実にライブに通うことにより、彼らは成長できるのだと思います。

また一方で、ドルオタもアイドルに成長させていただいているものだと思います。私自身、最初の投稿で申しましたように、推しに出会えたおかげでようやくファッションに目覚めました。「推しの周りにいて恥ずかしくないファンでいたい」という思いは、外見以外にも惜しみなく発揮されます。マナー本を読み漁り、推しが不快に思わない言葉遣いや、纏っている推し色に恥ずかしくない立ち居振る舞いを全て学びました。更に、推しが頑張っている姿を見て、私も私のフィールドで頑張らなくては、という思いが強くなりました。

推しに出会って2年。その間、夏は毎年ヨーロッパのサマースクールに自分で申し込み、短期語学留学に出かけました。もちろん将来のことを考えると留学は大切ですし、いい経験になったと思います。しかし私は、100%将来のことだけを考えて留学をしたのかと問われれば、決してそんなことはないと思います。むしろこの留学を後押ししたのは、「推しは本当に頑張っている。私も、推しと同じくらい頑張りたい。頑張るファンでいたい」という思いでした。あと、「推しにあちらのおいしいお菓子を差し入れしたい」という思いも少し。それから、大学で学んだ知識を活かし、取得が難しいと言われる資格を現在目指しているのも、やはり「自分も頑張りたい」という思いゆえなのです。

また、日本のアイドル文化は諸外国に紹介されるようなメジャーなものとなりつつありますが、ドルオタの在り方は未だ不透明です。そもそも、「正しいドルオタの在り方」というものが、定義されていない状態なのです。

例えばクラシック鑑賞を趣味とされる方でしたら、大体何分前に着席していることが望ましいですとか、ある程度のドレスコードですとか、マナーが決まっています。歌舞伎なんかになりますと、どこでどういった掛け声をかけるといった、「楽しみ方」が既に決められています。しかし、ドルオタ界はまだ歴史が浅いため、そういったものはほとんどないのです。

例えば、「物販に居座ってはならない」ということは常識として通っていますが、では大体何分くらいのお話ならば許容範囲なのか。私などは「居座り」と言われるのが怖いがために、まるでコンビニでお買い物をするような素っ気なさで帰ってしまうのですが、それも逆に失礼なのか。…これらは、定義することはできません。なぜなら、アイドル業界はユニットごとに、どのような態度がベストとされるかが異なるためです。他の趣味でしたら、このようなことは少ないでしょう。ルーヴル美術館なら大声で盛り上がってもよくて、オランジュリー美術館ではため息一つ漏らしてはならないとか、そんな違いはないのです。しかしアイドル業界では、あちらのユニットは券1枚につき1分話せるけれど、こちらのユニットはむしろアイドルから話しかけてくださる、といった違いがあらゆる面においてあります。

ですから、ドルオタは今いる現場の雰囲気ですとか、そのユニットのポリシーを見極め、時にはホームページなどを熟読して勉強し、迷惑にならないドルオタにならなければなりません。自分は今、どう行動すればよいのか?どう行動すれば、推しに迷惑をかけないのか?そして、この現場を盛り上げられるのか?あちらのご新規さんが不安そうだけど、手を差し伸べてよいのだろうか?過激な同担拒否だったらどうフォローしよう?…私にとって推し事は、自分が推しという人さまのためにどう行動すればよいのかを見極める、お勉強の場であるとも言えます。