武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

ファン仲間を作るべきか

SNSを検索しますと、ライブ会場で交流するファン仲間の募集を見かけます。また、日々私が伺っている現場でもかなり交流が行われており、一人で参戦することが少々肩身が狭くなってまいりました。

ファン仲間を作ることには、多くのメリットがあると思います。ライブの前後に交流ができたり、情報交換をすることもできますし、メジャーなアイドルですとチケットを取る際に協力もできます。また、友人の力を借りることで、手先が器用でない方も手作り団扇を持てるようになるといったメリットもあるようです。

しかし、そのようなメリットがあると存じてはおりますが、私はファン仲間を作らない主義です。

まず、ファン仲間が同担か、そうではないかということに分けて考えてみたいと思います。

同担の場合、どれだけ冷静なファンであろうとも、やはりそこにはある程度の嫉妬が生まれてしまうものだと思います。ジャニーズ系のようなはるかかなた遠い方ならばまだしも、地下アイドルの世界ではどの方も「推しとの関係」を持っています。そこに推しからの待遇の差があった場合は、情報交換をすることで妬みが生まれてしまうものだと思います。

同担でなければ平和、というわけでもないと思います。私には以前、同担ではない友人がおりました。(元々プライベートで友人でした)彼女の推しは年上の完璧な王子様系、私の推しは彼よりは年下で、いつも場を和やかにさせてくださる方です。時には自虐を交えながら、ユーモラスなブログを綴ってくださいます。

このようなタイプがまったく違う二人を推していると、どこかファンは「自分たちがその推しの分身」のように感じてしまい、推したちがグループ内で担っているポジションを無意識に自分たちも演じてしまうのだそうです。何かの心理学の本に書いてあった気がする。

彼女とは同い年でしたが、いつしか彼女は私に「先輩ぶる」ようになりました。その上、「まったく(私の推し)はしょうがないんだから」「(彼女の推し)に叱られるよ」と、まるで自分までも私の推しの先輩であるかのように振舞い、私のことをも世話を焼き始めようとしました。例えば、参戦服を勝手に決められるとか。

たしかに、彼女の推しと私の推しの間には上下関係がありました。そしてその上下関係は、あまりにも自然に我々の中に入ってきてしまったのです。これはまずい、と思い、ライブの参戦日をずらすなどして徐々に彼女とは疎遠となりました。

また、AKBグループほど露骨でなくても、アイドル現場に通っていれば人気順や序列はだいたい分かります。現場全体を見ていて思うのですが、やはりセンターポジションの方を推している人間ほど、自分の推しが誇らしくなり、よくも悪くも堂々とされているように思えます。

同担でもそうでなくても共通して言えることですと、やはりそれぞれの人間の価値観は違うことは、こうしたファン仲間の中では大きな問題になると思います。誰もが「自分の推し方」を持っています。そして、ある方はツイッターへのリプライはファンならば全てにして当然と思い、またある方は毎回コメントするのは煩わしいと思う。どちらが正解、ということはありません。だからこそ、一人ひとりの推し方は違うものです。その違いを尊重できればよいのですが、兎角「このような推し方がよい」という考えは出回るものです。「仲間の推し方が気にいらない」という感情から喧嘩になったり、あるいは気の強い方ですと、「あなたもファンならばこうしなさい」とお仲間に命令し、トラブルの元になってしまうものです。

また、ファン仲間とはたまたまライブハウスで会った存在であり、まったく違う人生を歩んでいる方です。同じ学校、同じ職場の友人ならばそれなりに価値観が同じものですので、付き合いは比較的楽です。しかし、安易に友情を結んでから、実は同じグループを愛するという感情以外は相いれない方だった、深く付き合っていくうちに自分が常識と思っていることがまったく通じないと気づいた、ということもあり得ます。

学校のお友達でしたら、クラス替えなどを機会に、比較的簡単に疎遠になることができます。しかしファン仲間ですと、どれだけ激しい仲たがいをしても、ライブに行けば会ってしまう可能性が高いです。まして地下アイドルですと、推し側が「誰それと誰それは友達」と認識してしまい、関係が破綻してしまってから気まずくなる可能性すらあります。

こうした事情から、私はファン仲間を作るつもりはまったくなく、いつも一人で現場におります。そしてこのような「ぼっち参戦」とは、案外惨めにも寂しくもならないものです。これからも私は私なりに、ライブへ行こうと思います。