武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

理想の推し方を宝塚から考える

推しとファンの関係が最も濃い業界とは宝塚ではないでしょうか。ファンが毎日出待ち・入り待ちをするだけではなく、時にはプライベートまでお世話をしたり、ファンクラブを経営したりといった活動は、ただの愛情だけでは成り立たないほど深い関係であると思います。

こうした伝統は創立当初からあったそうですし、かつてはファンが自宅へ招くことも決して珍しくなかったとか。そうした関係があったからこそ、創設者の小林一三氏がファンへの警鐘を鳴らしたことがあります。その時発表された声明はよほど核心を突いていたのでしょう、毎年出版される団員名鑑「宝塚おとめ」に毎年掲載されています。

その内容を要約しますと、贅沢品を差し上げすぎたり、彼女たちを楽しませようと尽くしすぎると、華美なものを求めるようになったり、贅沢に流されて稽古を怠るようになるのでよくない。それよりは精神的に指導してもらいたい、といった内容でした。「物品より精神」ということをこれほどはっきり書いた文章はあまり見たことはありませんでしたので、初めて読んだときは衝撃的だったと思います。

私の推しはタカラジェンヌではないので、もちろんこの教えが100%当てはまることはないと思います。まず、タカラジェンヌは入団時に未成年の方が多いので、確かにファンのおばさま方にとっては娘のように思えるでしょうし、「精神的な指導」をしても差し支えない、むしろまだ若い女性にとってはプラスになることかもしれません。推しは私より年上ですから、私が体を大切に、稽古に励んで、などと「指導」するのはお門違いでしょう。ファンレターの中でさり気なく「お体にお気をつけくださいませ」と書いたり、マヌカハニーを差し入れたりはするのですが…

華美なものを差し上げすぎるな、という指摘は、どの公人に対しても当てはまることでしょうし、このように堂々と警鐘を鳴らされると、まだ若く金銭的にも余裕がないファンはほっとします。私が推しに物品を差し上げないのは、もちろん金銭的な事情もあります。ですが、推しがブランド品が手に入ることを当たり前に思うようになったらなんとなく面白くない、という気持ちもあります。それに、もしファンの軽率な行動によって、推しが物の価値を見失い、人を「高価なものをくれる人」としか見做さなくなる、ということになりましたら、やはりファンとして責任を感じてしまうと思います。

ファンの行動によって推しの性格が変わってしまう、という可能性があるというのは、恐ろしいことだと思います。「精神的な指導」とは、やり方を間違えたら「上から目線で言いたいことを言ってくる、うっとうしいファン」「もはやクレーマー」という扱いになってしまうため、加減が難しいところです。だからこそ私は、ファンレターにさり気なく自分の気持ちを織り込む程度で、あとは下手に貢がず、推しを見守りたいと思っています。