武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

推しに幸せであってほしい

今日は次の差し入れ候補を購入してきました。明日のアルバイトの休憩時間に頂こうと思います。

ほんの少しでも、この差し入れで笑顔になっていただきたい、癒されていただきたい、と思います。もっと言えば、一秒でも長く推しに素敵な時間を過ごしていただきたいです。

私はこうして、推しに直接食べ物を差し入れられます。それだけ距離が近く、事務所も寛容です。推しも私の本名、ツイッターアイコンを把握してくださっていますし、接触時間のお話内容から判断するに、手紙もしっかり読まれ、それどころかツイッターの何気ない呟きまでご覧になってくださっているようです。お仲間も個人差こそありますけれど、私を全員「認知」してくださっています。

本当にありがたい環境だと思います。せっかくこのような機会に恵まれているからこそ、この環境を活かし、推しに「気軽に接触できるアイドルをしていてよかった」と思っていただきたいです。

そもそも推しに出会えたことが、私は奇跡だと思っています。推しはSMAPサザンオールスターズのような、日本人ならば多くの人が知っている、というタイプの有名人ではありません。私は自分がここまで人生を変えていただけるとは夢にも思わず、気軽に推しに出会うきっかけとなった現場へ行きました。一目惚れ、というわけでもありませんでした。接触の際に感じられたお人柄に、一番惹かれたのだと思います。それも徐々にゆっくりと、現場へ行く頻度が上がっていきました。

何度もお話をしましたし、推しのSNSは欠かさず拝見しています。だからこそ私は、推しは私とはまったく違う世界の方なのだ、ということを痛感しています。推しは私とは年齢も出身地も違いますし、趣味もまったく被りません。お互い一般人として生きていたら、すれ違うことすらなく人生を終えていたと思います。例え同じ高校に通っていたとしても、タイプがまったく違いますから、一言も交わさずに卒業していったでしょう。

そう考えると、こうしてファンとアーティストという関係を築けたということが奇跡なのだと思います。だからこそ、一回一回の現場を大切にしたいです。

推しがこれだけ近い位置にいらっしゃるということは、推しにとっても私は近い存在であるということです。もちろん、私にとってはかけがえのない推しであり、推しにとっては多くのファンの一人にすぎない、という温度差はありますが。

ファンが近い位置にいて、ある程度顔を覚える努力をしている、と考えると、推しは人生において「ファンのこと」を考える時間は少なくないのだろう、と思います。もちろんそれは、悪いことではないと思います。演技一本でやっていくべき俳優さんが過度なファンサービスをすることは疑問に思いますが、アイドルはファンとの関係をしっかり築くこともお仕事のうちというか、そうした距離感を求めてファンも通っているという点があると思いますので。

だからこそその時間が、幸せなものであってほしいと思います。「接触時のあいつの発言、むかついたなあ」とか、「あいつの差し入れ、まずかったなあ」なんて思ってほしくないですし、できたら「あの子に会えて嬉しかった」とか、「あの子の差し入れ、おいしかった」と思ってほしい。

言うなれば、ファンは推しの人生の端役として出演させていただいているようなものだと思います。せっかくご縁があってこのような形で出会わせていただいたのですから、お互いいい関係を築いていけたらいい。推しは私に楽しい経験、明日から頑張ろうというパワーをくださって、私はそのパワーを得て勉強なりバイトなりを頑張る。私はお金を払うこと、あなたのことが大好きなファンがいますよ、と伝え続けることでで推しの活動を支える。大好きな推しには幸せな人生を歩んでほしいから、その人生の端役に、推しを不快にさせる人間はいてはならないと思います。

もう初詣から10日以上が過ぎました。CDがどれだけ売れるとか、どこの会場でライブをするとか、そんな目標は推し本人にしか分からないので私からは願いませんでした。代わりに書いたのは、「推しが今年も健康で、アイドルでいる時間を幸福だと感じてくださいますように」推しが私のせいで不快になることがないように。最低限の願いではありますが、ファンをさせていただく上で重要な願いだと思います。