武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

差し入れ忘備録3

前回の差し入れ記事執筆から半年が過ぎました。相変わらず差し入れは続けています。最近はむしろ、「この時期に是非これを差し上げたいから、近々ライブに行かなくては」という気持ちにすらなってきました。そしてこれだけ長々と差し入れを探していても、決して探し尽くしたという気持ちにはならないことに、日本のおもてなし文化、食文化の深さを感じます。

 

・Hugo&VIctorのチョコレートフィナンシェ

過去のフィナンシェ差し入れから既に2年ほど過ぎましたので、また差し上げてもいい時期かな、と思っております。こちらはチョコレートメーカーですので、特にチョコレートフィナンシェが味も香りも深く、気に入っております。Noix de beurreのフィナンシェはカリッとした歯ごたえが魅力的ですが、こちらはしっとりした口当たりです。

 

・亀屋吉長の花びら餅

こちらは先日差し入れをしました。花びら餅はお菓子に牛蒡が入っていることから苦手意識を持たれる方も多いですが、ここの花びら餅は大変甘く煮付けてあり、味噌味の餡も上品な甘さに仕上がっています。また、多くの和菓子屋さんが花びら餅を売られる中亀屋吉長さんを選んだのは、お味のよさももちろんですが1月中旬まで売ってくださっていること、関東への配送もしてくださることが理由として挙げられます。

 

・村上開新堂のロシアケーキ

柔らかめのクッキーで、それぞれチョコレートやドレンチェリーなどでコーティングがされています。甘すぎず、そしてどこか昔懐かしい素朴な味がして、現代風のクッキーとは一線を画した商品であると思います。こちらは会員から紹介を頂いた上で数ヶ月待たなければならない看板商品のクッキーとは異なり、比較的容易に手に入ります。

 

有職の「桜の花一葉」

四度目の登場の有職さん。本当に大好き。これは一見桜餅に見えますが、桜色に染めた卵に酢飯を挟んだユニークなお寿司となっています。有職さんの最高級のお味と遊び心の両方が味わえる大好きな一品、今年の桜の時期に軽食を差し入れられる機会があることを願ってやみません。

 

・パティスリーSATSUKIの下町健康揚げパン

ホテルで売られている銀座ビーフカレーを詰めたカレーパンです。辛すぎず、そしてしっかりとビーフが主張しているカレーももちろんですが、脂っぽすぎないオイルで揚がったパンに弾力があり、とても食べやすいのも魅力的です。

 

今年も多くのおいしい差し入れに出会いたいと思います。とりあえず目下の目標は、s先日ミシュランガイドに掲載された「宿六」のおにぎりをまずは自分が実食することです。掲載以来一瞬で売り切れてしまうと噂のおにぎり、いつか複数個推しに差し入れることができるでしょうか?

ファン仲間を作るべきか

SNSを検索しますと、ライブ会場で交流するファン仲間の募集を見かけます。また、日々私が伺っている現場でもかなり交流が行われており、一人で参戦することが少々肩身が狭くなってまいりました。

ファン仲間を作ることには、多くのメリットがあると思います。ライブの前後に交流ができたり、情報交換をすることもできますし、メジャーなアイドルですとチケットを取る際に協力もできます。また、友人の力を借りることで、手先が器用でない方も手作り団扇を持てるようになるといったメリットもあるようです。

しかし、そのようなメリットがあると存じてはおりますが、私はファン仲間を作らない主義です。

まず、ファン仲間が同担か、そうではないかということに分けて考えてみたいと思います。

同担の場合、どれだけ冷静なファンであろうとも、やはりそこにはある程度の嫉妬が生まれてしまうものだと思います。ジャニーズ系のようなはるかかなた遠い方ならばまだしも、地下アイドルの世界ではどの方も「推しとの関係」を持っています。そこに推しからの待遇の差があった場合は、情報交換をすることで妬みが生まれてしまうものだと思います。

同担でなければ平和、というわけでもないと思います。私には以前、同担ではない友人がおりました。(元々プライベートで友人でした)彼女の推しは年上の完璧な王子様系、私の推しは彼よりは年下で、いつも場を和やかにさせてくださる方です。時には自虐を交えながら、ユーモラスなブログを綴ってくださいます。

このようなタイプがまったく違う二人を推していると、どこかファンは「自分たちがその推しの分身」のように感じてしまい、推したちがグループ内で担っているポジションを無意識に自分たちも演じてしまうのだそうです。何かの心理学の本に書いてあった気がする。

彼女とは同い年でしたが、いつしか彼女は私に「先輩ぶる」ようになりました。その上、「まったく(私の推し)はしょうがないんだから」「(彼女の推し)に叱られるよ」と、まるで自分までも私の推しの先輩であるかのように振舞い、私のことをも世話を焼き始めようとしました。例えば、参戦服を勝手に決められるとか。

たしかに、彼女の推しと私の推しの間には上下関係がありました。そしてその上下関係は、あまりにも自然に我々の中に入ってきてしまったのです。これはまずい、と思い、ライブの参戦日をずらすなどして徐々に彼女とは疎遠となりました。

また、AKBグループほど露骨でなくても、アイドル現場に通っていれば人気順や序列はだいたい分かります。現場全体を見ていて思うのですが、やはりセンターポジションの方を推している人間ほど、自分の推しが誇らしくなり、よくも悪くも堂々とされているように思えます。

同担でもそうでなくても共通して言えることですと、やはりそれぞれの人間の価値観は違うことは、こうしたファン仲間の中では大きな問題になると思います。誰もが「自分の推し方」を持っています。そして、ある方はツイッターへのリプライはファンならば全てにして当然と思い、またある方は毎回コメントするのは煩わしいと思う。どちらが正解、ということはありません。だからこそ、一人ひとりの推し方は違うものです。その違いを尊重できればよいのですが、兎角「このような推し方がよい」という考えは出回るものです。「仲間の推し方が気にいらない」という感情から喧嘩になったり、あるいは気の強い方ですと、「あなたもファンならばこうしなさい」とお仲間に命令し、トラブルの元になってしまうものです。

また、ファン仲間とはたまたまライブハウスで会った存在であり、まったく違う人生を歩んでいる方です。同じ学校、同じ職場の友人ならばそれなりに価値観が同じものですので、付き合いは比較的楽です。しかし、安易に友情を結んでから、実は同じグループを愛するという感情以外は相いれない方だった、深く付き合っていくうちに自分が常識と思っていることがまったく通じないと気づいた、ということもあり得ます。

学校のお友達でしたら、クラス替えなどを機会に、比較的簡単に疎遠になることができます。しかしファン仲間ですと、どれだけ激しい仲たがいをしても、ライブに行けば会ってしまう可能性が高いです。まして地下アイドルですと、推し側が「誰それと誰それは友達」と認識してしまい、関係が破綻してしまってから気まずくなる可能性すらあります。

こうした事情から、私はファン仲間を作るつもりはまったくなく、いつも一人で現場におります。そしてこのような「ぼっち参戦」とは、案外惨めにも寂しくもならないものです。これからも私は私なりに、ライブへ行こうと思います。

推し事と勉強

就職前の資格試験ラッシュがよい形で終了しました。誰から勧められたわけでもなく、すべて自発的に取得したものですが、これも推しの存在があったからと思います。

私は「元推し」を慕っていた時代から、とにかく推しという存在を自分の本業=勉強のモチベーションにすることが大好きでした。元推しへのガチ恋全盛期は高校生のとき。今思い返すと我がことながら腹が立ってくるくらい、怖いものなしの時代でした。

ミュージカル俳優である元推しは出待ちが可能であり、ファンはよくその舞台のパンフレットにサインを頂くものでした。そのほか、色紙やサイン帳を用意されていた方も多かったです。

そして何を考えていたのか…というより何も考えていなかった私は、志望校の赤本を持参して、「試験当日にお守りにしますから、ここにサインをください」とねだったのでした。ちなみにこの当時、志望校の判定はBかCだったと思います。合格確実な大学ならともかく、受かるかも分からないのに何と向こう見ずなことをしたものかと思います。元推しが「この大学受けるんだね、凄いね」と言ってくださったことに浮かれ、本当に試験当日はその赤本をお守りとして持参し、そしてその大学はめでたく私の母校となりました。うまくいったからよいものの、不合格だったらどうするつもりだったのでしょう?

しかし人間の本質とは変わらないもので、今も私は推しに「これからこの目標を達成してまいります」と宣言してしまいます。不合格だったら恥ずかしい、ということを一応考えてはいるのですが、「そんなもの、落ちてからじっくり考えればいい」という若さゆえの愚かしさは未だにあります。

今回は内定報告と同時に、「次の接触までに、民間資格のあれとあれとあれ取ってきます」と宣言をしました。今回受けた試験は社会人としては当然といえるスキル―それほど上級でもない簿記や秘書検定、あるいは自分がこれから関わる業務の初歩的な資格―でしたので、赤本を持って行ったときほどの高い目標ではありませんでした。しかし逆に、ネットで検索すれば「誰でも受かる」「私は一週間勉強しただけで受かった」などという言葉がごろごろ出てくる以上、落ちたら相当恥ずかしいため、かえってプレッシャーが大きかったように思います。また、そのような初歩的な資格ばかりではありましたが、いくつも並行して勉強するとなれば一応、「大変さ」というものも感じました。

そして「全部合格」の報告と同時に、「来年某国家資格(合格率一桁で「難関資格」と言われている。しかし司法試験や公認会計士ほどの「超難関資格」ではない)取得するつもりです」と宣言してきました。母校に合格するより難しいかもしれない目標です。高校生の頃と、恐ろしいほど変わっていない。

別に推しに「凄いね、頭いいんだね」と言ってほしいわけではない…まあ数パーセントそういった邪念があることは認めますが、それが全てではありません。

まず、私は推しという今後も定期的に会い続ける方に宣言してしまうことで、背水の陣を張りたいのです。大学受験も、赤本にサインを頂いてしまってから「もうここに受かるしかないぞ」と馬力をかけられたもの。別に国家試験は一発で受かる必要もない、というより一発合格はあまり期待されていないものではありますが、「それでもやる!」という高い志を持つことができることは、大きなメリットだと思います。

医師のような、その資格を取得しなければ業務が始められない、というものではありません。日々出勤して業務をこなせば、「まともな社会人」ではいられる。しかし誰にも勧められたり強制されたりしない目標であっても、それを立ててプラスアルファの努力を続けていきたいです。自分の人生やキャリアを考えてのことではありますが、どこかで「推しは頑張っている、私も頑張るファンでいたい」という強い思いがあります。私が何を頑張ろうと、推しの得にはまったくなりませんけれど、それでも努力を続けたいです。