武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

推し事と勉強

就職前の資格試験ラッシュがよい形で終了しました。誰から勧められたわけでもなく、すべて自発的に取得したものですが、これも推しの存在があったからと思います。

私は「元推し」を慕っていた時代から、とにかく推しという存在を自分の本業=勉強のモチベーションにすることが大好きでした。元推しへのガチ恋全盛期は高校生のとき。今思い返すと我がことながら腹が立ってくるくらい、怖いものなしの時代でした。

ミュージカル俳優である元推しは出待ちが可能であり、ファンはよくその舞台のパンフレットにサインを頂くものでした。そのほか、色紙やサイン帳を用意されていた方も多かったです。

そして何を考えていたのか…というより何も考えていなかった私は、志望校の赤本を持参して、「試験当日にお守りにしますから、ここにサインをください」とねだったのでした。ちなみにこの当時、志望校の判定はBかCだったと思います。合格確実な大学ならともかく、受かるかも分からないのに何と向こう見ずなことをしたものかと思います。元推しが「この大学受けるんだね、凄いね」と言ってくださったことに浮かれ、本当に試験当日はその赤本をお守りとして持参し、そしてその大学はめでたく私の母校となりました。うまくいったからよいものの、不合格だったらどうするつもりだったのでしょう?

しかし人間の本質とは変わらないもので、今も私は推しに「これからこの目標を達成してまいります」と宣言してしまいます。不合格だったら恥ずかしい、ということを一応考えてはいるのですが、「そんなもの、落ちてからじっくり考えればいい」という若さゆえの愚かしさは未だにあります。

今回は内定報告と同時に、「次の接触までに、民間資格のあれとあれとあれ取ってきます」と宣言をしました。今回受けた試験は社会人としては当然といえるスキル―それほど上級でもない簿記や秘書検定、あるいは自分がこれから関わる業務の初歩的な資格―でしたので、赤本を持って行ったときほどの高い目標ではありませんでした。しかし逆に、ネットで検索すれば「誰でも受かる」「私は一週間勉強しただけで受かった」などという言葉がごろごろ出てくる以上、落ちたら相当恥ずかしいため、かえってプレッシャーが大きかったように思います。また、そのような初歩的な資格ばかりではありましたが、いくつも並行して勉強するとなれば一応、「大変さ」というものも感じました。

そして「全部合格」の報告と同時に、「来年某国家資格(合格率一桁で「難関資格」と言われている。しかし司法試験や公認会計士ほどの「超難関資格」ではない)取得するつもりです」と宣言してきました。母校に合格するより難しいかもしれない目標です。高校生の頃と、恐ろしいほど変わっていない。

別に推しに「凄いね、頭いいんだね」と言ってほしいわけではない…まあ数パーセントそういった邪念があることは認めますが、それが全てではありません。

まず、私は推しという今後も定期的に会い続ける方に宣言してしまうことで、背水の陣を張りたいのです。大学受験も、赤本にサインを頂いてしまってから「もうここに受かるしかないぞ」と馬力をかけられたもの。別に国家試験は一発で受かる必要もない、というより一発合格はあまり期待されていないものではありますが、「それでもやる!」という高い志を持つことができることは、大きなメリットだと思います。

医師のような、その資格を取得しなければ業務が始められない、というものではありません。日々出勤して業務をこなせば、「まともな社会人」ではいられる。しかし誰にも勧められたり強制されたりしない目標であっても、それを立ててプラスアルファの努力を続けていきたいです。自分の人生やキャリアを考えてのことではありますが、どこかで「推しは頑張っている、私も頑張るファンでいたい」という強い思いがあります。私が何を頑張ろうと、推しの得にはまったくなりませんけれど、それでも努力を続けたいです。