武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

出待ちはお仕事のうちか

推しが事件を起こしたのは、出待ちの最中でした。そのため当時、「出待ちとは何か」ということが、多くのSNSでかなり活発に取り沙汰されていたように思います。

 

出待ち賛成派の方の主張は、「ファンサービスも仕事のうちだ、出待ちの対応次第でファンが増え、結局仕事につながる場合もある」といったものが多かったです。また単純に、「出待ちは楽しい」「宝塚などでは様式美になりつつある」

 

一方で出待ち反対派の主張は、「俳優は演技が仕事であり、過度なファンサービスは仕事ではない」「宝塚はともかく、明確な規約がない場合は、ファンのマナー次第で非常に治安が悪くなる、俳優を困らせる」というものでした。

 

私は元推しの出待ちを非常に楽しんでいた身です。今更反対派として声を上げる資格もありませんでしょう。しかしだからこそ、「出待ちはするべきではない」と思えます。

 

確かに、出待ちは楽しかったです。舞台を降りた元推しは、舞台上とは違った魅力がありました。しかし、その魅力は、元推しが本来、作り出すべきものではなかったはずです。

人はパフォーマーとしての資格を与えられる時、一定の条件をクリアしなければなりません。それは演技力であったり、歌唱力、ダンス力など、要は俳優としてのスキルを試されるのです。オーディションで問われる力は、そこまでです。「出待ちで、ファンにサービスをし尽くしなさい」とは、言われないはずです。つまり出待ちでのファンサービスは、パフォーマーの方にとって善意のボランティアであると思うのです。

 

どの程度のファンサービスをするべきか?それは、パフォーマーの属する団体によるでしょう。AKB48の方でしたら、ファンと握手をすることが必須です。「私、歌いたいし踊りたいけど、握手は無理!」という方はユニットに参加できないでしょう。

地下アイドルの方ですと、ツーショットチェキ、時にはハグチェキなど、より密なサービスを提供してくださいます。ハグチェキはいいけどキスマークを贈るのは嫌だとか、ユニットごとに線引きをして、納得する必要があります。皆さま、納得された上でお仕事をされているのでしょう。私が現推しを追いかける現場は主に地下アイドルの現場が多いのですが、皆さま「ファンサービスはどこまでならいい」といったことを熟知されているように思えます。物販中に、「やっぱり私、ツーショットなんて嫌だから!」なんて拒絶する方は一人も見たことがありません。

出待ちにおいて、線引きは俳優さんお一人おひとりに任されています。そのせいで、とかくファンは「神対応をしてくれる人は、いい人」「塩対応の人、あるいは出待ちをまったくしない人は、悪い人」という意識を持ちやすいものです。だからでしょうか、最近は過剰なサービスをされる俳優さんが多いように思います。私だって、元推しと撮ったツーショット写真を何枚か持っています。

 

はしたないことをしていたと思います。地下アイドルの世界でしたら、ツーショットにチェキ代を払うのは常識です。無料で撮影をするだなんて、元推しは親戚のお兄ちゃまか何かだったのでしょうか?少なくとも私はその時、「お相手はサービスの与え手、私は受け手=消費者=お金を払わなければならない」ということを、すっかり忘れていたように思います。

出待ちを楽しむお金は、チケット代に含まれているのではないか、というご意見もあるでしょう。しかし、出待ちはしない人が多いものです。チケット代は、舞台の始まりから終わりまでの3時間弱+思い出代なのです。出待ちをしないから損だ、などということは全くありません。しかも出待ちは、それだけを無料でできる場合もあります。

無料でも、俳優さんが進んでしてくださるのだからいいじゃないか、俳優さんだって、自分のファンが一人もいなかったら惨めじゃないか?というご意見もあるでしょう。確かに、「私はできるだけ出待ち対応をします」と明言されている方もいらっしゃいます。また、元推しを待っている間にも何人か、「なんと腰の低い方なんでしょう」と驚愕するような俳優さんにも、何回も遭遇しました。彼らにとって、出待ちは本当に楽しいものなのかもしれません。出待ちを一律禁止したら、彼らの楽しみを奪ってしまうことになるかもしれません。しかし、こうした風潮が、目に見えない「出待ち強制」になっていると思います。

 

特にお若い方、デビュー間もない方は、本当に丁寧な対応をしてくださる方が多いです。時には、「この方、ファンでなくてお友達?」と思うほど長くお話になる方もいます。ファンが殺到して、劇場に迷惑をかけてしまうような方ならともかく、そうでない方が「私、出待ちは受け付けません」と明言するのは、勇気のいることではないでしょうか。「あいつ、何様?」なんて、今時SNSですぐに悪評は広まります。

また、出待ちは非常に怖いものだと思います。アイドルの現場では、ファンには「剥がし」と呼ばれるスタッフさんがついています。もう少し予算のあるグループでは、金属探知機が導入されることもあります。しかし出待ちにおいて、俳優さんは常にお一人で出てらっしゃいます。列を作るよう促されるスタッフさんがいらっしゃることもありますが、もし刃物を持った人間が飛び出してきた場合、どの程度対処できるのか?と思うと恐ろしいものがあります。また、熱心なファンが長々と話してきても、女優さんにセクハラをする人間が現れても、すぐに彼らを安全なところに引き離せる方はほとんどいないでしょう。

 

出待ちをするから、俳優さんのお人柄が分かり、ゆえにファンになる、ということもありますが、そうしなければファンがつかない、ということは決してありません。劇団四季は出待ち厳禁で、俳優さんの素顔などほとんど知れませんが、それでも毎日のように完売御礼が続いています。宝塚は出待ちが可、というより最早ガードの列が様式美となりつつありますが、タカラジェンヌとお友達のように打ち解け語り合ったり、ツーショット写真を撮ることは、少なくとも出待ちではできません。

 

思えば私が出待ちを熱心にしていたのは、舞台で元推しの素晴らしい歌声を聴くこととは全く別の目的があったように思います。よくある青春の壁だの何だのにぶち当たっていた時、元推しの優しさに触れることで、元気をもらえたような気がしました。…でも、「優しさをくださる」なんて、本来俳優さんのお仕事ではないはずです。人さまの温もりに触れたければ、執事喫茶なりホストクラブなり、そういったお店にでも行けばよかった話です。それを私は、無料でできる出待ちで代用していた。これは、本来演技力や歌唱力で勝負される俳優さんに、まったくといってよいほど関係のない、別のお仕事を要求しているに他なりません。

今の推しに、彼のお仕事を超越する何かを求めていないか?これは常に気にすることでもあり、ファンである上の永遠の課題であるように思えます。そもそもアイドルである彼のお仕事とは何か、それを見定めるのは実に難しいです。

今の推しは、出待ちが厳禁されています。よって、ライブハウスの出口にファンが溜まっているといった光景は目にしたことがありません。推しはライブハウスを出られる時、常に完璧な人間でいようと心を砕いている「(芸名)さん」ではなく、「(本名)さん」に戻れているのだな、という思いが、なんとなく私を嬉しくさせます。

 

 

推しが誰かバレそうだ…