武蔵野の草原に立つ

アイドルのライブへ行く趣味について徒然に。

推しに会うファッション

推しに会える日、一番心を砕くのは、そして私の推し事において最大のネックとなっているのがファッションです。というのも、推し事におけるファッショについては、大きな壁が二つもあるからです。

まず一つは、「推し色」の取り入れ。私の推しは非常にファッションに取入れにくい色をイメージカラーにしてらっしゃいまして、まずその色のお洋服を探すのにも苦労する。更に、彼のお顔には本当にその色は映えるのですが、全く系統が違う顔をしている私と合わせてみると、笑ってしまうくらい似合わない。ネイルカラーに取り入れてることで妥協したものの、その爪に合うお洋服まで限られてくる。ビビット推し色輝く爪は、アルバイト先の制服とあまりにも不釣り合いですから、ジェルネイルにするという選択肢もない。

更に、私のワードローブを検めてみますと、ピンク、イエロー、それから水色といった暖色系が多い。奇しくもこれらは彼のお仲間のイメージカラーですので、一応「単推し」の私としては、こうしたお洋服を着ていくわけにもいかない…と、様々な問題があります。しかしこれは、推し事を経るにつれ、だんだんコツが掴めてくるもの。

 

もう一つの非常に高い壁は、そもそも私にファッションセンスなど皆無だということです。物心ついた時から、家の中で読書ばかりしている子供でしたが、友人がファッションに順次目覚める中学生、高校生になっても、私の興味を占めていたのは文字情報ばかり。自分が周囲に比べてダサいとか、あるいはお化粧品や可愛いバッグが欲しいとか、そんな気持ちは呆れるほど皆無でした。大学生になると一応身だしなみとしてメイクはしましたが、私服を選ぶセンスなどゼロ。母親が買ってきたものを適当に着るだけでして、今のトレンドとは何なのか、いやそれ以前に、ファッション業界にはトレンドというものがあることすら知らなかったように思います。

推しと会って自然と、「どうせなら可愛らしい恰好をしていきたい」という気持ちが芽生えました。そしてその時初めて、自分の持っている服の少なさ、センスのなさに愕然とした記憶があります。こんな人間が推しの傍でファン面していたら、「なんてダサいファンがついているんだ」と、推しが嘲笑されても仕方ない。

 

生まれてから一度もファッションのことなど考えたことのない人間が、お洒落になろうとすること。それは、今までずっと遊んできた高校生が、一念発起して東大に入ろうとして九九を学び始める。誇張ではなく、そんなレベルでした。毎月下旬にファッション雑誌というものが出るということはなんとなく知っていましたが、どの雑誌を参考にすればよいのか分からない。何色と何色を掛け合わせればよいのか分からない。そもそも、一般的に壊滅的な評価を受けるような配色を見ても、何が悪いのか分からない。大体、ガリ勉一直線だった人間にとって、数学のように答えが一つに決まらない、そんなものは理解不能。

幸い現在はインターネットが発達していますから、人さまに不快感を与えないファッションとはどのようなものか、また逆に、どのような組み合わせは人気がないのか、自分の体格に合わないコーディネートとは何か、などを片っ端から調べました。メイクやネイルの方法も、雑誌では難しすぎましたから、おそらく中学生が見ることを想定しているであろう初歩中の初歩のサイトを見て勉強しました。初めて自分で、自分の顔に一番似合う色のアイシャドーを買いました。

最初は、推しに会う日だけまともな恰好ができていればよい、と思っていましたが、いざ一日でも「今日の私は、自分史上最高にお洒落だ」と思えてしまう日を迎えると、残りの日をまたダサい恰好で過ごすことは耐えられなくなってしまうもの。約一年をかけて、私は友人をして「マイ・フェア・レディ?」と言わしめるほどの変身を遂げました。(注・毎日完璧な姿をしているという意味ではなく、「前が酷すぎた」というだけ)

 

推しに会っていなかったら、私は今でも、適当なシャツに適当なスカートを組み合わせ、髪を高校時代の黒ゴムで縛り、すっぴんに近い下手なメイクをした女性だったかもしれない。私をまともなラインに引き上げてくれた推しには感謝しかありません。それから推しがくれたのは、毎日服を吟味する楽しさ。お洒落をするとはこんなに楽しいものなのだ、こんな気持ちは、普通は中学生か高校生で気が付くところでしょうけれど、私は成人を過ぎた今、ようやくしみじみと気づかされています。

 

推しとは物販やイベントでお話をできる機会がありますが、その際時折、ファッションを褒めていただくこともあります。貴方がご覧になっている「お洒落なファン」は、貴方が無意識のうちに作り上げた作品なのですよ、といつかお伝えしたいものです。